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「城下図」

 

 「二本松城下図」は、もう1枚存在します。これは、旧二本松町役場にあり、大正15年(1926年)に水田荘介氏が模写したものです。これら2枚の図は、昭和55年8月10日に「二本松史談会」によって複製品が市販されました。双方共に似た内容が記されていますが、後者の方には、坂下門が完成する前の姿で書かれています。ただ、どちらにも「竜泉寺」の脇に「御城代組足軽」の記載があり、城代家老に属する30名ほどの足軽の長屋があったようです。現在「千枚田」と言われている場所に当たります。したがって城の範囲は、現在言われているより、もう少し広かったようです。

 各々の原本が書かれた年代について、「史談会」では、「平島版」を文久時代(1736年~1740年)、「町役場版」を元禄一定永時代(1699年~1708年)としています。

 この2枚の原図は、丹羽家二本松藩に任えた武士の家に伝えられた「住宅地図」で、移動があった場合は名前の上に貼り紙で新しい名前を記入するものです。「表札」が用いられていなかった江戸期の武家では必需品でした。二本松では、戊辰戦争で大多数の武家住宅が焼失したため、現存するものは少ないようです。

 私が「郡山市教育委員会」に勤務中に、会津若松の図を持ち込まれたことがありました。若松からの移住者の子孫が持っていたもので、郡山市では活用方法が無いので「県立博物館」を紹介したおぼえがあります。二本松に必要なのは、「松下家二本松藩」と「加藤家二本松藩」の時代の「城下図」で、二本松では未発見です。

 

(原稿提供 相原秀郎氏)

第228回門前市広告より原文のまま掲載