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「広小路」

今回より新シリーズがスタートします

 

 二本松藩の時代、坂下門前は仙台松前道に沿って21間(約40m位)の空き地がありました。防火用の「火除け地」で、「大手前広小路」と呼ばれていました。この場所で二本松藩の刑罰の一種である「笞打刑」が行われていました。この刑は、重と軽の二つに分けられ、軽は50回、重は100回を10回ずつ休みながら行われました。「叩き」の時は、筵(むしろ)一枚を地面に敷き、罪人は衣服をはいで引状せられ尻を打たれました。この時に用いられたのが「クマヤナギ」の木を長さ三尺五寸(1m5㎝)頭部の直径三分(9㎜)、小頭の直径二分(6㎜)を荢(荢麻?カラムシ)で薄巻きして、すり漆したものを用いて叩きました。打ち手は町同心が罪人1人につき1人が行いました。「クマヤナギ」とはクロウメモドキ科の落葉樹でツル状の枝は他の木に巻きつきます。別名「ヘビフジ」と呼ばれるものです。

 この刑は竹田御門の外と本宮、郡山の代官所でも行われましたが、その時は代官が立ち合ったようです。この刑より軽い刑が「所払」(領内追放)であり、信夫郡との国境「堺川」で追放したようです。

 地方史研究家として『二本松寺院物語』や『小浜郷土読本』などの著書がある平島郡三郎氏が愛用されていた『二本松城下図』には、根崎下之町から遍照尊寺に向かう道路に「広小路」という記載があります。これは火除け地だけだったようです。

 

(原稿提供 相原秀郎氏)

第227回門前市広告より原文のまま掲載